15年間勤務しお世話になった会社を持病の頚椎椎間板ヘルニア治療及び療養の理由で退職。

再出発と人生勉強の一環として妻と母に応援してもらいながら、同級生が自分を含めて10人というヘルパー学校に通学。

2級ヘルパー資格取得の実習先である特別養護老人ホームへの就職の相談をしたら「気持ちはありがたいが、自宅から施設まで片道1時間以上あるのは、通勤と家族に何かあった場合大変だから別の施設を紹介する。働きながら頑張って勉強して介護福祉士・ケアマネージャーなどの福祉関連資格を取ることと、『本当の福祉とは何か』を現場で学び、実践して欲しい」といわれ、その紹介先がなんと、自宅から自転車で10分ほどの社会保険病院系の施設。以前にその病院へ研修に行った方から「病院も含めてそこは役所系の施設だから、面接はもちろんのこと、職員採用基準と条件が厳しいよ」と聞いていた。

2/19(月)に履歴書を持参し実習先に提出、面接先の施設概要と面接時の説明と注意を受け、「私が出来るのはここまでだが精一杯頑張って欲しい。不採用になっても今後のことを一緒に考えるから」と実習先関係者からいわれた時は「親身になって自分や家族の将来や生活のことを多角的かつ長期的に考えて下さっている」温かい心と気持ちが伝わり、「再就職先を紹介してくれた方や他の方々のためにも意地でも合格してやる!そのためにも全力を尽くしながらも紹介元と学校と同級生、これからの後輩たちのことも考え、言動にも注意する」という気持ちになる。翌日2/20(火)午後に連絡があり、日時について相談すると「面接日時は2/21(木)午前9時半」と承諾をいただいた。

面接日当日は慌しく施設に自転車で向うが、全身に「15年ぶりの就職面接なので緊張と不安」が走る。

そして、面接時間10分前に紹介先施設に到着。

しばらく待たされた後に面接が始まるが、面接官の1人に自宅近所の方がおり、互いに「あっ」といってしまった。

そのせいか、別の面接官から以前の勤務先での職種や勤務状況と高校卒業後と前勤務先に就職する2年間の空白期間についてと現在と今後の考えについてを時間をかけて質問され、「役所の施設だから民間より、福祉という職業をきちんと理解し実行できるのかと身元が確実な人物か見極められているのは仕方ない」と。面接責任者から「採用結果は来週中に連絡する」といわれ、その後は面接官と施設内見学。「学校においての実習や実技、学科・理論と実際の現場は違うぞ」と互いに話した。施設を出ると「かなり厳しい面接だったので採用は難しいだろうなぁ」と「もう一つ関心のある通学先関連施設への就職」と考えてしまう。頚椎の傷病治療の通院先に行ったり、不採用の場合の「滑り止め」検討やその他雑用で1日が終わった。

翌日夕方、昨日の面接先から「様々な部署で検討した結果、採用内定が出ました。詳細については来週月曜日以降に送付する正式な採用通知書と関係書類に読むように」と自宅に連絡があった時、面接の厳しさを改めて思い出し「採用内定されたことと早い連絡の嬉しさ」で全身から力が抜けるような安堵感と嬉しさと再就職先を紹介して下さった方とその関係者、応援してくれた家族や通院先の病院関係者、ヘルパー学校やその同級生に改めて感謝する気持ちでいっぱいだった。

今後は「本当の福祉とは何か」と自問自答しながら自分を磨き、介護福祉士及びケアマネージャーの資格を取り、お世話になったヘルパー学校で客員講師として後輩たちを育てていきたいことが現在の私の夢である。