正直にいえば、配属先の先輩方や上司に面倒や迷惑をかけてしまい、申訳ない気持ちと、「1日でも30分でも早く仕事や技術を覚えて、一人前の施設職員の一員となりたい」気持ちが全てである。


まず、再就職先に勤務して目の当りにしたのが「私より一回りも若い先輩が頑張っていること」と、「福祉の仕事というのは利用者(被介護者)と職員の心と信頼が通い合わないといけない」ということである。


例えば、ベッドから車椅子、車椅子からベッド、車椅子からトイレの便器に腰掛けさせるという「移乗」という行為は

失敗したら転倒→ケガ又は骨折、頭を打ったら脳障害や死亡事故につながるので緊張ばかりしている。

朝、出勤してからは、夜勤スタッフから日勤スタッフへの申し入れ事項や引継ぎ事項の確認、利用者への朝食時のに出すお茶の支度や身体不自由の利用者さんの整髪や顔拭き、食事介助や食事後の口腔ケア(歯磨き)介助、トイレ介助、シーツ交換、利用者の入浴の着替え準備、洗濯物回収、新しい入所者とその家族への事前説明、レクエーション準備、利用者の食事量のコンピュータ入力など、介護老人施設や老人ホームの職員の業務は、事前に思っていたより多忙でもある。

これで夜勤もあるのだから、人の話を聞かない人や高齢者・障害者(児)の身体や精神を理解できない人には向いていないといつも思っている。

面接時に「本当にこの仕事にやる気があるのか」と強く質問された理由がここにあるのである。


次回はこれについて話す予定である。

3月2日(日)

明日からの通勤服と靴、通勤用自転車の購入のため近所のホームセンターなどを妻と回る。

「就職祝いに私が買ってあげる」と妻から言われた時、表情には出さなかったが、内心はホントにありがたかった。自転車はコーナン、通勤服や靴などはドンキホーテで購入した。

自転車購入の際、コーナンの店員さんが「就職祝いだからオマケするよ」とLEDライトをオマケで付けてくれて助かった。

ちなみに自転車には「ズバッカー」と命名。これは子供と一緒に見た「快傑ズバット」という昭和モノ番組で、主人公の乗り物からあやからせていただいた。


3月3日(月)

初仕事と辞令を受け取るために朝8時ごろ出社。

初めての役所(?)勤務だったのだが渡された種類の多さには面食らってしまった。

「5日まで用意できるかなぁ」と思っていたが、事務局の方が「今週中までの提出で構わないよ」といわれたので

少しホッとする。

初朝礼で自己紹介があり、先輩方にご挨拶してから先輩の女性職員とオムツ換えやシーツ交換などの「初歩の介護」業務に入るのだが、改めて「学科や研修と現場」の違いを感じさせられる。

肉体的には疲れそうだが、先輩職員の優しさで心が癒されたのが前職場との違いである。

施設については追ってお知らせしたいと思う。


3月4日(火)

ヘルパー学校の卒業式だったのだが、交通事情で5分ほど遅刻してしまうが、みんなが私が来るのを待っていてくれたのに「迷惑をかけたのに」と「この学校にして本当に良かった」と心の中で嬉し泣きしてしまった。

会長(校長)から修了証書を受け取った時、「これから新しい命が吹き込まれる」感じでもあった。

その後の学校主催の懇親会の席で学校側から「今後の就職先の候補として当校も考えて欲しい」旨の話があり、“間髪を入れずに”希望活動日時等を記入する「活動希望票」が配布され、介護福祉士等を目指している人や自宅近辺で介護関連業務に携わりたい人はその場で記入・提出したが、私は家庭内の事情で即答はできなかった。しかしながら、別の活動方法を含めてこれからもここのヘルパー学校に携わりたいため、早急に検討して結論を出したいと思ったので「活動希望票」の提出を留保させていただいた。

午後からは、同級生一同と内輪の懇親会を開き、皆で「詰まる話」をしながら、数ヶ月に1度集まる確認をして散会するが、後に「37期の会(仮称)」を提案し、要綱などを練っているところである。


3月5日(水)

午前中は、家庭の理由で妻にパート勤めしてもらうことになり、その為に職場の託児所の見学と相談で妻と娘と3人で訪問する。運営が民間委託のため、託児料が公立より高いが、一つの教室にベテランの保育士が3名いるという心強さがあった。実は昨夏から2回、自宅区内の公立保育園に9ヶ所申し込んだが、その前の待機児童が多いため、9ヶ所ともに入所不可と役所から回答があった。先日に改めて公立保育園入所申込手続をして、審査結果が今月13日以降に出る回答の後に判断したい事情を託児所に話して、理解していただいた。その後は別の公立「おなかま保育所」の見学・申込及び相談で施設に訪問。

家庭事情を聞いた担当者が「定員に対して5倍の入所希望があり抽選の配慮できないが、放っては置けない事情なので、事情を改めて文書で担当部署に報告する。それと9ヶ所も申し込んだのに1つも入所できないのには疑問があるので再度、役所の担当者に相談しなさい。また育児とかで困ったことがあれば(休日以外は)いつでも相談しに来なさい」と言われた時は「温かい心」をしみじみ感じてしまった。

午後は、所得税と住民税の確定申告(昨年中に前勤務先を退職)のため区役所に訪問。

昨年の源泉徴収票や傷病手当金支給決定書とその傷病治療で通院先医療機関の領収書等を見た役所の方が

「前勤務先は本人の傷病とその療養中の事情と待遇を考える必要があったのに、扱いがいい加減すぎる。困ったことがあったらいつでも相談しなさい」といわれた時は無知の恐怖と悔しさが出てしまったのだが、「放っては置けない事情だから書類を預かり、納税の分割納付や猶予等をあなたと一緒に考える。新職場は確かに前勤務先より、給料が安いが、安定しているし社会保障などの待遇がしっかりしているから皆のためにも長く働けるように頑張ろうね」といわれたときは、役所のありがたさが改めて痛感したのである。 

夕方は自宅居住地区役所支所に訪問。再度、娘の保育園入所で担当者の方に面談。申し込んだ当初は冷たい感じの方だと思ったが、何回か面談している内に「精一杯努力されて下さっているのと本当は親身な方である」と。「何か状況が変わったららいつでも連絡して下さい」といわれていたのそう感じられた。今回は同じ区内の公立保育園を11箇所申請するが、「本当に宜しいのですか」と尋ねられたので、「私も腹を括っていますし、どこでも空いていたらすぐに入所させて下さい。もし通いきれない場合はすぐに辞退(退園)手続きします」と真顔で担当者に話したせいか「わかりました。引き続き手続きを進行します」といわれた。

今日一日は「役所のありがたみ」というのをつくづくと感じられたのである。


                        


この言葉は通学先の会長(校長)先生の授業でよく出ていた。

最近は携帯電話やそのメール、パソコンでのチャットなど、実際に相手の顔や表情などが見えないが、

もう会っている感覚で相手に接して実際、相手に会うと、コミュニケーションで戸惑う人が増えているという。

いわれてみれば筆者もここ数年来コミュニケーションをとるのが苦手という顧客が多かった気がする。中には

「パート先でよくいじめられるんです」と作業先の若い主婦の方に相談されたときは「なぜ?」と思ったのだが、話してみると、聞き相手が「余韻に浸っているときに後ろからバケツの水をかけられ、罵声を浴びさせられる」気持ちになるといえば理解できるだろう。悪気があってやったわけではないと思われるが、「言葉」というのは使い方を間違えると大変なことになりかねないというのを、ヘルパー学校でつくづくいわれたものであるし、お隣の朝鮮のことわざ「言葉は馬より早い」があり、漢書の劉向伝(りゅうきょうでん)にある言葉で「綸言汗のごとし」といって、「一度体から出た汗が再び体内に戻らないように、君主が一度口から出した言葉は、これを取り消すことができない」という意味の言葉があるくらい、「言動にはくれぐれも注意」と古代からいわれているのだと感じている。介護制度利用者の多くが戦前・戦後はもちろんのこと 「大日本帝国憲法」から「日本国憲法」に変わるまで現代で生活している世代と、私ら昭和以降の世代と戦争を過ごした世代との考え方の違いで介護職を辞職する人が多いといわれるが、それについては次回のブログで述べることとする。












15年間勤務しお世話になった会社を持病の頚椎椎間板ヘルニア治療及び療養の理由で退職。

再出発と人生勉強の一環として妻と母に応援してもらいながら、同級生が自分を含めて10人というヘルパー学校に通学。

2級ヘルパー資格取得の実習先である特別養護老人ホームへの就職の相談をしたら「気持ちはありがたいが、自宅から施設まで片道1時間以上あるのは、通勤と家族に何かあった場合大変だから別の施設を紹介する。働きながら頑張って勉強して介護福祉士・ケアマネージャーなどの福祉関連資格を取ることと、『本当の福祉とは何か』を現場で学び、実践して欲しい」といわれ、その紹介先がなんと、自宅から自転車で10分ほどの社会保険病院系の施設。以前にその病院へ研修に行った方から「病院も含めてそこは役所系の施設だから、面接はもちろんのこと、職員採用基準と条件が厳しいよ」と聞いていた。

2/19(月)に履歴書を持参し実習先に提出、面接先の施設概要と面接時の説明と注意を受け、「私が出来るのはここまでだが精一杯頑張って欲しい。不採用になっても今後のことを一緒に考えるから」と実習先関係者からいわれた時は「親身になって自分や家族の将来や生活のことを多角的かつ長期的に考えて下さっている」温かい心と気持ちが伝わり、「再就職先を紹介してくれた方や他の方々のためにも意地でも合格してやる!そのためにも全力を尽くしながらも紹介元と学校と同級生、これからの後輩たちのことも考え、言動にも注意する」という気持ちになる。翌日2/20(火)午後に連絡があり、日時について相談すると「面接日時は2/21(木)午前9時半」と承諾をいただいた。

面接日当日は慌しく施設に自転車で向うが、全身に「15年ぶりの就職面接なので緊張と不安」が走る。

そして、面接時間10分前に紹介先施設に到着。

しばらく待たされた後に面接が始まるが、面接官の1人に自宅近所の方がおり、互いに「あっ」といってしまった。

そのせいか、別の面接官から以前の勤務先での職種や勤務状況と高校卒業後と前勤務先に就職する2年間の空白期間についてと現在と今後の考えについてを時間をかけて質問され、「役所の施設だから民間より、福祉という職業をきちんと理解し実行できるのかと身元が確実な人物か見極められているのは仕方ない」と。面接責任者から「採用結果は来週中に連絡する」といわれ、その後は面接官と施設内見学。「学校においての実習や実技、学科・理論と実際の現場は違うぞ」と互いに話した。施設を出ると「かなり厳しい面接だったので採用は難しいだろうなぁ」と「もう一つ関心のある通学先関連施設への就職」と考えてしまう。頚椎の傷病治療の通院先に行ったり、不採用の場合の「滑り止め」検討やその他雑用で1日が終わった。

翌日夕方、昨日の面接先から「様々な部署で検討した結果、採用内定が出ました。詳細については来週月曜日以降に送付する正式な採用通知書と関係書類に読むように」と自宅に連絡があった時、面接の厳しさを改めて思い出し「採用内定されたことと早い連絡の嬉しさ」で全身から力が抜けるような安堵感と嬉しさと再就職先を紹介して下さった方とその関係者、応援してくれた家族や通院先の病院関係者、ヘルパー学校やその同級生に改めて感謝する気持ちでいっぱいだった。

今後は「本当の福祉とは何か」と自問自答しながら自分を磨き、介護福祉士及びケアマネージャーの資格を取り、お世話になったヘルパー学校で客員講師として後輩たちを育てていきたいことが現在の私の夢である。



昨夏以来から、頚椎椎間板ヘルニアからくる右肩から右手先の痛みと痺れ、握力低下で昨年10月下旬に15年間勤務した会社の都合で退職した。

その日は「15年も会社に貢献したのにどうしてこんな目に遭わないといけないのだ」と途方に暮れたが、家族や通院している病院関係者、周囲の方々による励ましで、「自分が傷病で悩み苦しんでいるのだから、世間様に少しでも役立つ職業がいいのでは」と身内から言われ、以前から興味があった福祉関係の職業を探すことにした。

介護福祉士、介護支援専門員(ケアマネージャー)を考え、調べてみると「ホームヘルパーやその他法律で定められた職業を規定年数を勤務経験していないと受験資格がない」とあったので、2級ヘルパー取得のための学校探しをした結果、「株式会社ホームヘルパー協会(http://www.jade.dti.ne.jp/~homehelp/ )」が11月受講生を募集していて、親切な対応と事務局が自宅から近いという理由で受講申し込みをした。

11月下旬から講義が始まり、主婦の方や、女子高生と見間違うくらい若い女性、大学受験生や福祉関連施設に既に勤務されている方、医療関係で勤務していた方もいる。

受講会場になっている横浜市T区JAきた総合センターの周りは緑が多く、長閑な雰囲気である。

今年1月下旬に講義と演習が終わり、2月初旬に現場実習が始まる直前の自宅待機中に急性腸炎と風邪で救急車で病院に搬送される事態もあったが、医師の努力により、延べ3日間で何とか体調を快復させ、無事に実習終了した。

来月4日に終了式であるが、第2の人生のさきがけにしたい思いである。

後日、講義内容や反省点、活動報告をする次第である。

今月20日は結婚して1年目の記念日だったので、朝早くから首のリハビリ治療に行った後直ぐに、近所の乳幼児と母親を対象にした「お絵本会」でご挨拶。

午後から妻と娘と電車で川崎のラゾーナのアカチャンホンポなどで1日を過ごす。


結婚1年目を迎えた感想は「家庭を持つ意味」の重みを実感した次第であります。


先月半ばに首と右腕の激しい痛みと痺れ、右手の握力低下でかかりつけの病院で診察してもらうが、「早急にMRIを実施してくれる総合病院を紹介します」といわれ、紹介状を手に診察と頸部の検査をしていただくが「特に異常はないですよ」といわれるが、痛いものは痛い。仕方が無いので再度かかりつけの病院で母が通っている大学病院を主治医を通じて院長先生に紹介状をお願いしたところ、承諾をいただいたので翌週に診察予約をお願いした。

担当医から綿密な診察と検査をしてもらったところ

「頚椎椎間板ヘルニアのようですが、最初に頸部のMRIを撮って、異常がなければ脳のMRIを撮りましょう。念のために血液検査もします」といわれ、頸部の詳細なMRIと血液検査の結果、

「頚椎椎間板ヘルニアで、2ヶ所あり、完治まで最低でも半年はかかります。それと血圧が高いので食事療法と運動療法もしないといけません。2ケ月ほど自宅療養と内服薬による治療をして今後を考えましょう」といわれた。「生まれたばかりのチビちゃんがいるので何とかなりませんか」と担当医に相談するが、「何より病気を治すことが先決です」といわれ最初は諦めが強かったが、家族とリハビリ担当の看護師さんたちの励まし、わがブログの読者とそのお子さんの頑張りを見ているうちに「何がどうあれ頑張って闘病する」気持ちであります。

今現在は、かかりつけの病院でリハビリをしながら、空いてる時間で家族とともに家で過ごしたり、勉強をしながら職場復帰への夢を諦めずに奮闘している。

それから、念願の禁煙を始めて約3週間になるのですが、空気が美味しく感じるのは気のせいなんだろうか。

ここ半年前から「首から肩、腰から足裏の痛みやしびれ」が度々発症しており、かかりつけの病院で診察してもらうと

「椎間板ヘルニアと変形性頚椎症がある」といわれ、仕事帰り若しくは休日であるが週に1~2回ほどのリハビリをしている。

仕事柄、長時間にわたって天井を見上げる作業や重たい什器の移動などの激しい体力の消耗で、長年の無理とダメージがが今になって出てきてしまったようだ。

「仕事のことを思う気持ちも解らなくもないが、今は自分の身体のことと家族のことだけを考える時であり、会社というのは代わりの人間をいくらでも探すことはできるけど、家族は代わりの人間を探すことは出来ない」と医師にいわれ、「もし病気を治すとしたら今の仕事と全く違う仕事にしないといけないから」と医師の好意で診断書まで出された時は考えてしまった。

「今の職業から“引退”するにせよ仕事しながら勉強して何かの資格でも取ろうか」と思う時がある。

先日もリハビリの帰りに行きつけの書店で資格取得の本コーナーで10分ほどの睨めっこ。


う~ん、畑違いの職種というのは何だろう。




今月初旬から妹と甥っ子2人(3歳と1歳)が帰省しているのだが、昨年より更に腕白になり家の中が「台風にあった」状態も(笑)


わがブログの読者や訪問者の方々にも育児や主婦業に励んでいると思われるが、

「育児というのは大変だけど、みんなやっている」とわが娘や甥っ子たちを見て、改めて筆者が納得させられた。


その点において「亭主って仕事が終わって帰宅したら飯・風呂を済ませたらもう一日が終わり」で済むのだから。


新米パパですが「育児と仕事の両立」を目指して頑張ります。

3月11日掲載した、双葉社から刊行された、直井由美里(風水監修)著、「幸運を呼びこむ「トイレ&水回り掃除」実践法」を

読ませていただいた感想は

「トイレ掃除にゴム手袋を使用しないのは気になるが、重曹等を使用した清掃は宜しい」ということ。

「基本的に清掃をするときはゴム手袋使用」というのが、筆者の経験からの根拠である。

手に傷がある場合や肌が弱いなどの様々な状況からしてゴム手袋を使用したほうがいいし、

人間は無意識の内に手を口に近付けていて、手から細菌が入り、病気でもなったら

「何のための掃除」だかわからなくなってしまうし、乳幼児や身体が弱っている方を世話しないといけない時に

素手でトイレを掃除する人がいるのだろうか。